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コーダノート

今日を大事に。やりながら考える。いっぺんにやらない。いっこずつやる。

セミのきもちになるですよ ~夢を棚上げし、現実を解決する技術~

私が通っているリハビリ施設では
演劇的手法を取り入れた集団心理療法のプログラムが週一回あるのだが、
先日は「セミの誕生から死までを演じる」という内容をやった。



ここまで読んだ方はこう思うかもしれない。

「セミの一生を演じることで、いったいなんの病気が治るのだ?」と。

ですよねー。

私もそう思う。そう思った。
具体的にはどんなことをするかというと、まずみんなでセミになりきり、
その人生(セミ生)の節目節目、つまり、誕生、幼虫として土の中で暮らす長い日々、
いよいよ地上に出て羽化するとき、思う存分飛んで鳴く日々、そして衰弱と死の時などを演じる。
そのなかで、講師の先生がひとりひとりに「いま何を考えている? 何を感じる?」と問いかける。
問われた人はそれに答え、そして、他の人の答えを聞く。

これらの一連の流れが終了した後はそれぞれが感想を述べ、終了となる。



さて、これをやってみた私の感触だが、
自分のなかで最大のひっかりとなったのが
「セミを演じている時に自分が発した言葉と実際の自分の望み・行動が違うじゃないか」ということだった。

成虫となり夏の大空を飛ぶセミを演じている時、
先生に「あなたはいまいちばん何をしたいですか?」と問われ、
私は「どこまでも遠くに行きたい、いちばん高く飛びたい」と答えた。

だが、現実の自分は、ほとんど遠くになど行かない。自分が住む街から出ることすらまれである。
海外旅行なんて何が起こるか怖くてできない。国内旅行ですら尻込みしてしまう。
また、「遠く」というのは、物理的距離以外にもいろんな体験・経験をすることも含まれると思うが、
それらに関してもあまりぱっとしない日々を過ごしている。
もうひとつの「いちばん高く飛びたい」というのは、好奇心と上昇志向のあらわれと思えるが、
病気療養中の自分はなかなかそれができないでいる。
(もっともこちらは『できるのにやらない』ではなく『やりたいのにできない』なので、ちょっと事情が変わってくるが)

というわけで、問題は「遠くに行きたいと言っておきながら、実際にはぜんぜん遠くになど行っていない」
という、言行不一致があぶりだされたということであった。

はて、いったいこれはどういうことなのだろう。

私は私に嘘をついているのいるのか?
人前だからいい格好をしようとしたのか? いや、そういうつもりはない。

本当の自分の気持ちは、どっちだ?

アイデンティティが揺さぶられるのである。ぐらぐら。

答えはさっぱり見つからない。

しかたないので、考える。俺は遠くへ行きたいのか、行きたくないのか?
行きたい。行きたいのは確かだ。じゃあなぜ行かない?



一週間考えて、パッと閃いた。



「よし! わからん! これは棚上げしよう!」



「えぇ……」と思われた方もいるかもしれないが、
今の私にとってはこれがいいアイデアであった。

要するに、現実での私はまだ、セミの成虫ではなかったのである。

広く高く遠い空にあこがれて土のなかで過ごす幼虫だったのである。

幼虫が無理に地上に這い出て飛ぼうとしたって飛べやしない。下手すりゃ死ぬ。
幼虫の時には、幼虫なりの生き方がある。
それに気づいたので、遠く高く飛ぶ日を夢見るセミの幼虫として、いまは幼虫の日々を全うしようと思ったのであった。



「結局、それって『やらないこと』への言い訳なんじゃないの?」
と感じた方もいるかもしれない。

しかし、「棚上げ」というのはどうやら心理的には意外と重要なテクニックらしい。
人間関係とか仕事のこととか将来のこととか健康のこととか、
自分自身ではどんなにがんばっても完璧にはコントロールしきれない問題は誰にでもある。
自分なりのベストをつくすことはできても、成否は相手(自分の肉体を含む)の出方しだいだ。
どんなに愛しても嫌われることはあるし、どんなに努力しても失敗することはあるし、
どんなに健康に気をつけてもいつかは病むし死ぬ。

それらはコントロール不能な要素があるだけに非常に悩ましいが、
悩んだところでコントロール可能範囲が増えるということはない。
現時点で自分がコントロールできる範囲のことを粛々とやっていき、
どうにもならないところは棚上げして、運を天に任せ時間経過を待つしか無い。

なにもかもどうにもならないと感じてしまう時は、
とりあえず、「他人とお金と期限(ヒト・カネ・キゲン)」が絡むものからやる。
それもわからない時は、「いちばん(労力的・心理的)楽なこと」からやる。
どれほど複雑怪奇に絡まり合った糸でも少しずつほぐしていけば最終的にはちゃんとほどけるわけで、
「頭のなかのぐちゃぐちゃ」を処理するのが大事。
そのためには「書き出す(明文化)」「工程を細かくする(細分化)」「やる順に並べる(順番化)」も有効だ。
まずは糸口を見つけ、ときほぐそう。
重要なものがあるならそれを、それがわからない・できない時は、楽なものから。

プライオリティが高い「他人・お金・期限」が絡むものを見つけることができ、
「明文化・細分化・順番化」して取り組めば、だいたいのことはなんとかなる。
「それができないんだよ!」というときは、なんでもいいから楽で簡単なことからやる。
ゴミ屋敷を掃除するのに、とりあえず手近なところから片付けていくみたいな感覚だ。
大物が片付けられなくても悲観せず、小物からやっつけて足場を確保する。



というわけで、いったい何の役に立つのかわからない
「セミのきもちになるですよ」というプログラムが
一週間の思考を経て、この記事に羽化した次第である。

あとはもう、黙々淡々粛々と、幼虫ライフを歩んでいこうと思った次第。
地中ぐらしがあとどれだけ続くかわからないが、まあ、あまり思い悩まずやってみるか。
もぞもぞと、土の中でがんばるよ。
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